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暗黒の二年間 26 [音楽]

「勝つこと」。他を蹴落としてでも「勝つこと」に何か生産的な意味があるだろうか?
結局、勝者がいれば敗者が生まれる。勝者は勝者のままで居続けようとし、その城の周りに巨大な防壁を張り巡らす。敗者はいつか勝者になろうともがき、隙あらば勝者の城壁を破壊しようと目論む。これまで幾度も勝者が敗者となり、敗者が勝者となった様を見てきた。そしてこのゲームは、この地球上の至る所で長いこと繰り返されてきたのだ…。

問うてみるに、これらのゲームのどこかに、愛と呼べるものが存在したことがあるだろうか……?断じて否である。

しかしながら、地球人は愛を知っている。ではなぜ愛が普遍的に、かつ恒久的に実現されないのか?それは努力を強制されるような問題ではなく、痛みを伴わねばならない行為が必要とされることでもない。単に散漫な集中力しか持たないが故の、理解の欠如がそれを拒んでいるだけのだ。



その日ゲームにエントリーした人間は、すでに一日の大半を、ある存在に売り渡してしまったことになる。しかし就寝前のひととき、それはほんの数分間かもしれない、記憶に残る美しい景色に思いを馳せるとき、愛らしい子供の寝顔を見るとき、書物に真実を求めるとき、優れた音楽に聞き入るとき、そこに初めて愛がある。故に地球人は愛を知っているのである。しかし一日の大半を、闘争に費やさねばならないというこのゲームに参戦しているがため、愛を実践できる人は限られてしまうのだ。このゲームは、地球人の社会が推奨し、かつ強制するものである。ところが地球そのものは、このゲームの及ぼす弊害に悲鳴をあげている、というのが実情だ。

かつて、このダムネイションゲームのルールを考え、隙がないほど精密に組み立てあげ、地球人に逃げ場を見失わせた存在がおり、常にこのシステムにブラックホールのように、全てを取り込もうとしている。故に僕たちが戦う相手は人類ではないのだ。この暗躍する存在こそが僕たちの唯一の敵であり、地球人は全て犠牲者であると僕たちは考えている。

また指摘しておけば、このブラックホールは、質量の軽いものには一切作用しないようにできている。質量の軽いもの、すなわち魂、それもピュアで軽量化された魂だけが凄まじい吸引力から逃れ、かろうじて地球人に理性を保たせている。僕たちはこの理性に訴え、不純物を取り込みすぎて重たくなってしまった魂を、再び蘇らせようとしている。

古来より輪廻転生という概念がある。これは上記ブラックホールのシステムに吸い込まれた魂を、再利用するために作られたサブシステムである。すなわち、ブラックホールに飲み込まれた場合、その魂を再度新しい人生においてゲームにエントリーさせ、そこから尚も利益を得ようとする搾取のシステムである。そうまでして、彼らは何を得ようとしているのか?彼らにエネルギーを与えるもの、それこそが、人間が恐怖する時の波動なのである。怖がり始めるとどんどん怖くなってくる、そんな経験はないだろうか?それはあなたが恐怖した瞬間に、より深くシステムにはまり込むからなのだ…。

このシステムから脱却する方法は、箇条書きにして壁に張ればよいというものではない。まずは、システムの管理者によって隠されてしまった真実を見抜く眼力が必要である。眼力は集中力である。それはりきみではなく、恐怖から解放されたときにのみ、自然ともたらされる賜物である。落ち着いて…、そしてただ良く見ることである。今、目の前で行われていることは一体何なのか?皆さん自身がそれを見抜いた時には、既にシステムから解放されていることだろう。

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