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眩い朝の記憶、視点の変化 [音楽]

眩い光に包まれた朝だった。これを「覆された宝石」と呼んだのは確か地球人だったのではないだろうか。風が吹き、山の鳥たちはみなそれぞれの言葉で喜びを語り、庭の隅の芝生の上では、小さなカミキリ虫が朝露を吸っていた。美しい朝の記憶は、それを所有する人の人生を一生支えるに違いない。私はこの朝のために生き続けるのだと…。



かつてこの宇宙を創った孤独な神は、自分以外の存在を体験するために私たちひとりひとりの中に分かれ、宿った。私たちが体験していることは、すなわち神自身が体験しているということに他ならない。そのことが常に見えていれば、人生に翻弄されることもないのだが…。ただ、心静かに観察してみよう。理解はそのまま、かつての自分自身の視点まで再び上昇する力だ。その時、宇宙の中に自分がいるのではなく、自分の中に宇宙がある、という体験が訪れる。孤独でありながら満たされており、すべてを持っている完全な自己。ふとひらめいて、宇宙遊びを始めたころの私…。

さあ、思いだすことができますか?

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